【要約】 真のお母様は、獄中で終始一貫して「韓民族が選民であることを知らせよ」と当付(とうふ)されます。我が民族は、檀君(タングン)神話の弘益人間(ホンイクインガン)の精神から、沈清(シムチョン)の孝、春香(チュニャン)の節操、柳寛順(ユ・グァンスン)の忠節、世宗(セジョン)大王のハングル創製に至るまで、深い心情を綿々(めんめん)と継いできた選民です。このすべての歴史は、真の父母の誕生の準備過程でした。今、真のお母様は、獄中の苦難の中でも、孝・烈・忠を一身に完成し、聖(せい)なる歴史を書いていっておられます。選民意識は特権ではなく、供物(くもつ)の意識であり、最も低い所で最も大きな愛で犠牲になるとき、天はかえって最も高く用いられます。韓民族選民大叙事詩は、この瞬間にも、我ら一人ひとりの人生を通して書かれつつある、生きている叙事です。我らが韓民族のアイデンティティを取り戻し、真の父母を中心として、この大叙事詩を完成するその日、散らばっていた人類は、一なる天の父母様のもと、一つの家族となるでしょう。
(真のお父様 1969年9月21日) 神が復帰歴史を成してこられるにあたって、最終の目的はどこか。真の父母にあります。真の父母を要求するのは、真の家庭を代表するためであり、真の種族、真の民族、真の国家、真の世界を代表するためです。これを逆に見れば、世界を代表しては国家が供物とならねばならず、民族が、特定の種族が、特定の家庭が供物とならねばなりません。結局、父母に帰結します。
(真のお父様 1972年3月24日) 人間が堕落することによって、サタン側の個人、家庭、種族、国家は、いくらでもあります。しかし、天側の個人はいても、その基準に上がってきた家庭・種族・民族・国家がない、ということです。結局、メシヤがお越しになって家庭を立て、種族、国家を立てられる土台がなくては、一般の人が上がる道がありません。神が、メシヤを中心として共に上がれる個人、家庭を経て準備しておかれたのが、イスラエル選民です。選民は国家圏を越えねばならず、越えられなければ大変なことになります。しかし、この線を越えるには、自分たちだけでは越える道がありません。
(真のお母様 2013年12月6日) 我が民族は、上古(じょうこ)時代から倍達(ペダル)民族と呼ばれました。倍達とは、明るい国、輝く国、天を崇(あが)める国を意味します。聖書を見れば、天がノア、アブラハムなどの中心人物を立てて歴史を成してこられ、イスラエルを選民として択(えら)び、イエス様をお送りになったように、はるか昔から、天孫民族であり、弘益人間の思想を持つ選民として、韓民族を択んで準備されました。我らは、韓民族が、後天開闢(こうてんかいびゃく)時代に、平和王国創建の先鋒(せんぽう)に立てるための、選民の血族であることを、肝に銘じねばなりません。
*はじめに ― お母様が獄中で繰り返される、ただ一言
愛する食口(シック=信徒)の皆さん。我らは、韓民族選民大叙事詩を、一章一章、共にめくってきました。神話に始まり、沈清の孝、春香の節操、柳寛順の忠節、そしてハングルを経て、ついに真の父母に至りました。今日は、その絵を一幅(いっぷく)の大きな画布(がふ)に収め、我らの胸に刻む時間です。
まず、一つの場面を思い浮かべてみてください。真のお母様が獄中におられます。面会に来る食口たちに、どんなみ言葉をおっしゃるでしょうか。普通なら、法的な対応をおっしゃるか、誤った裁判を問題にされるか、デモをせよとおっしゃりそうなものです。ところが、お母様の口からは、
「韓民族が選民であることを知らせねばならない。韓民族選民大叙事詩を、全国民に教育せよ。」
初めてこのみ言葉を聞いたとき、正直に言えば、こう思うかもしれません。「この切迫した状況で、そのみ言葉がどれほど助けになるだろうか。」しかし私は、そのみ言葉の中に、お母様の最も深い憂慮(ゆうりょ)を見ます。お母様は今、ご自身の苦痛よりも、この韓民族が自らのアイデンティティを失っていくことを、より憂慮しておられるのです。この国がどんな国なのか、そのアイデンティティを知らなければ、どこへ行くべきかも、何をすべきかも分からぬまま、道を見失い、見失ったことさえ分かりません。お母様の絶叫(ぜっきょう)は、これです。「この倍達民族は、真の父母をお迎えし、全世界を救う宿命を持った民族である。それを、国民一人ひとりが悟らねばならない。」
*1. 我らは本来、どんな民族であったか ― 檀君神話の啓示
では、我らは本来、どんな民族でしょうか。その根を求めて、神話へさかのぼってみます。真の父母は、韓民族を東夷(とうい)民族、すなわち、戦争を嫌い、平和を愛して、五千年の歴史の間、ただの一度も他を侵略したことのない民族だと、おっしゃいました。「桓(ファン)の字と韓(ハン)の字は、同じ意味で使われた、と言います。」意味としては、限りなく大きい、明るく輝く、無限である、一つ、一番はじめ、神の意(こころ)が込められています。その神話を、ただの昔話としてのみ見れば、何も見えません。しかし、摂理の目で読めば、驚くべき啓示が現れます。桓因(ファニン)は天の父母様であり、庶子(しょし)・桓雄(ファヌン)は、天側のアベルの位置です。天符印(てんぷいん)三個――符(ふ=お札)は、厄(やく)を追い払い、祝福を招き入れます。ですから、天が下さった三大祝福、すなわち「生めよ、増えよ、主管せよ」という意味だと思います。神壇樹(しんだんじゅ)は、神に、真(まこと)の人間となることを願う、生命の木と解釈します。熊と虎は、弱肉強食の動物的価値に堕ちた堕落人間であり、「百日の間、日を見るな」というのは、創世記の「善悪の実を取って食べるな」という、性的純潔の戒(いまし)めでした。
虎は、その禁忌を耐えられず、人になれませんでしたが、熊は、三七日(さんしちにち)の試練を乗り越え、ついに熊女(ウンニョ)となって、檀君王倹(タングンワンゴム)を生みました。皆さん、これは何を意味するのでしょうか。参愛(まことのあい)と忍耐で、真の世界を繰り広げよ、という、韓民族に向けた天の最初の戒めであったのです。我らは、そうして、純潔と平和と弘益人間の心性を、神話の中に刻んだ、世に二つとない民族でした。特異なことに、檀君神話が、聖書の創世神話と同じことを語るのは、決して偶然ではありません。
*2. 生命を超えたお迎え ― 沈清の孝情(こうじょう)
その純潔な血統の上に、天が育てられた最初の心情が「孝情(こうじょう)」です。韓民族が選民として召された背景には、まさにこの孝心がありました。そして、その孝を最も深く盛り込んだ代表的な物語が、『沈清伝』です。
六歳の幼い沈清が、目の見えぬ父のために、寒い冬に裸足(はだし)で、飯を乞いに出ます。御覧ください。この少女には、「孝をする」という意識さえありません。世間的に見れば目の見えぬ父でしたが、自分が血の塊(かたまり)であった時から、物乞いをして自分を育ててくれた男手一つの父を、深く愛するがゆえに、ひとりでに体が動くだけです。これが真の孝です。世界のどの国の言葉にも、韓国の「孝」を正確に翻訳する単語がありません。聖書のヘブライ語とギリシャ語でさえ、義務と責任を強調する「敬え、畏れよ、従え」とだけ言うのであって、我らの孝心とは、その趣(おもむき)が異なります。
しかし、沈清の孝は、そこで止まりません。父の目を開けさせようと、印塘水(インダンス)の海の水に、自らの生命を投げ入れます。外国人は、この箇所を理解しがたく思います。どうして父の目を開けさせようと、命までも捧げるのが孝になるのか、と問います。しかし、沈清の孝の叙事は、合理的な孝を語ったのではありません。この少女の孝心は、父の恨(ハン)を晴らしてさしあげられないなら、子として生きても、生きた甲斐(かい)がない、という、その孝です。その心に天が感動されて、目の見えぬ父ただ一人だけでなく、全世界の盲人の目が、一度に開く奇跡が起こりました。
皆さん、この物語の中に隠された、天の啓示を御覧ください。エデンでエバが堕落し、天地が暗黒に陥ったとき、天地を失われた神は、目の見えぬ沈盲人のように、先の見えぬ復帰の道を、切り拓(ひら)いてこられました。その解けない神の恨は、ただ、沈清のように生命を超えた孝情を通してのみ解ける、ということ――これが、『沈清伝』を通して天が教えられた叙事です。
*3. 死も折れなかった一片丹心 ― 春香の節操(せっそう)
孝が親に向かう縦的(じゅうてき)な愛であるなら、今度は夫婦に向かう変わらぬ横的(おうてき)な愛、すなわち「烈(れつ)」へと進みます。ところで、ここで我らは、より深い問いの前に立ちます。人類の堕落は、何から始まったのでしょうか。真の父母が明かしてくださったとおり、それは、純潔を失った淫乱(いんらん)の問題でした。堕落が淫乱であったなら、復帰は純潔でなければならず、堕落が欲情であったなら、復帰は変わらぬ一片丹心でなければなりません。
ですから、天は、純潔と貞節を、生命より貴く思う民族を、探されねばなりませんでした。白い服を好んで着て、白衣(はくい)民族と呼ばれた我が民族が、まさにその器(うつわ)でした。白色は、汚(けが)されていない、純潔の色です。その節操の心性を、最も美しく咲かせた花が、春香です。
十六歳の春香は、李夢龍(イ・モンリョン)と、天の前に百年の契(ちぎ)りを結びます。しかし、卞(ピョン)府使の守庁(しゅちょう)の強要の前で、彼女は刑の台に縛られ、鞭(むち)に打たれながらも、十杖歌(じゅうじょうか)で応酬します。「一つの杖に打たれて、いっそ死んでも、李道令(イ・ドリョン)は忘れられません。」玉のような体から赤い血が噴き出し、血の涙が流れても、春香の一片丹心は、ついに揺るぎませんでした。清らかな愛が、生命より貴いことを、彼女は全身で知っていました。
冷たい獄房(ごくぼう)で、当てもなく愛(いと)しい人を待っていた、その姿が、今、獄中におられる真のお母様の苦難と、そのまま重なります。しかし、至誠(しせい)なれば天に通ず、といいますが、天は、ついにその貞節を見捨てられませんでした。科挙(かきょ)に落ちて、乞食(こじき)の身なりに変装して戻ってきた李道令でしたが、愛しい人が自分を捨てなかったことを確認して、今や、夢にまで恋い焦がれた愛しい人を見たのだから、死んでも思い残すことはない、と言う箇所に、この少女の参愛(まことのあい)を見ます。――これが、我が韓民族のラブストーリーです。それに比べて、西洋人の愛について、お父様はこうおっしゃいました。西洋人は、会えばすぐに抱擁し、キスを実に簡単にするが、まるで一匹のハエが、そっと止まっては飛んでいくようだ、と。簡単に会い、簡単に別れる愛の話とは、次元の異なる、ドラマチックなラブストーリーを、韓民族の胸の中に秘めた民族です。
*4. 最も暗いときに、最も輝いた忠 ― 柳寛順の忠節(ちゅうせつ)
孝が、父子(ふし)の間に咲く縦的な花であり、烈が、夫婦の間に咲く横的な花であるなら、忠とは何でしょうか。縦的な国愛(くにあい)に、横的な民(たみ)への愛が調和した、立体的な愛です。漢字を見れば、中(なか)の中と、心の心が合わさった字、すなわち、心の中心がどこにあるかの問題です。自分が中心なら、いつでも裏切りますが、国と神が中心なら、大きな価値のために、生命も祖国のために捧げられます。その忠節の、最も愛国的な表象が、柳寛順烈士です。
満十六歳、その小さな胸に、どうして、あれほど大きな火が起こったのでしょう。並川(アウネ)の市場で、彼女が万歳を先唱すると、喊声(かんせい)が天を突きました。その日、母と父を含め、十九名がその場で殉国しました。息絶えた両親の前で、普通の少女なら、慟哭(どうこく)して気絶したであろうその場で、柳寛順は、かえって憲兵隊に向かって、再び歩いていって抗議しました。結局、主謀者として逮捕されましたが、法廷では「私は、お前たちの裁判そのものを認めない」として、上告さえ拒否し、西大門(ソデムン)の獄中でも、毎日、朝夕に万歳を止めずにいて、ついに、十七の花のような年齢で、西大門刑務所で殉国されました。
その忠節は、この民族が愛国心を、より劇的に飾った話ではありません。一つの家門から、九名の独立有功者が出た、一家すべてが共に歩んだ、愛国忠情(あいこくちゅうじょう)の家門でした。そして、我が民族の忠は、その趣が異なります。世のどの国も、皆、自分の国を愛する心があります。ところが、韓民族の忠は、何が独特かといえば、最も暗いときに、いっそう輝き、王や貴族ではなく、すべての民が主体であり、他国を簡単に侵略しなかった「愛人(あいじん)の忠」であったのです。一般的な強大国は、弱小国を簡単に侵犯しますが、韓民族の忠は、他民族を支配しようとする、排他的な愛国心ではありません。
ところで、この愛国運動の歴史の中には、真のお父様を中心とした家門の独立運動の歴史が、お父様の家門に、文潤国(ムン・ユングク)종조부(大叔祖父)を通して証しされています。真のお母様を中心としても、三代の母娘(おやこ)の愛国忠情が、そっくり込められています。お母様の自叙伝の最初の章には、1919年のその日、幼い洪順愛(ホン・スネ)代母(だいぼ)様を背に負って万歳を叫ばれた、趙元模(チョ・ウォンモ)外祖母(そぼ)の話が出てきます。その洪順愛代母様も、1945年8月、三歳の真のお母様を背負って、大韓独立万歳を叫ばれました。これが偶然でしょうか。韓民族の忠節は、単に国を守った歴史ではなく、真の父母の誕生を準備した、忠節の精誠条件であったのです。
*5. 心情を盛る器 ― ハングル
では、この深い孝と烈と忠の心情を、我が民族は、どうやって胸に刻み、後代に受け継ぐことができたのでしょうか。まさに、ハングルがあったからです。ハングルは、創製者と創製日と創製原理が、すべて記録された、人類史上、唯一の文字です。世宗大王は、臣下たちの命懸けの反対を押し切って、ただ民に向けた愛民精神一つで、この文字を自ら作られました。君主が、民の暮らしのために新しい文字を創製した事例は、世界の歴史に、世宗大王が唯一です。いくら世宗大王が聡明でも、一つの国の文字を、どうして一人でお作りになれましょうか。世宗大王が46歳のときに作られましたが、始まりは、おそらく、私が王になれば、すべての民が易(やす)しく読み書きできる文字を作らねばならない、という志を立てたのは、16歳前後から始まったのではないでしょうか。若いときから志を立て、どう文字を作るべきか、苦心(くしん)に苦心する中で、世宗大王が、親の心情で民を子のように愛することに、天が感動されて、啓示的にハングルを作ってくださったと、私は信じます。したがって、ハングルは神が創製されたと、私は信じます。それゆえ、全世界で最も科学的で、最も実用的で、文学的で、心情的な、完璧に近い言語になったと思います。
しかし、ハングルの本当の偉大さは、それが「心情の言語」であるところにあります。情(ジョン)、恨(ハン)、サムチダ(骨身にしみる)――これらの言葉は、どんな外国語にも移せません。特に「恨」は、いわれなき無念(むねん)を胸の奥深くに抑えつつ、怒りとして爆発させず、かえって愛へと昇華させる感情です。今、獄中におられる真のお母様の心情が、まさにこの恨の心情です。苦痛と悲しみに満ちていますが、そこに閉じ込められて呪(のろ)うのではなく、愛するがゆえに赦(ゆる)し、解怨(かいおん=恨を解くこと)する、その心を盛り込める、恨(ハン)の心情言語は、ただ、我らの言語だけです。
ですから、原理講論の最後の節は、再臨主を親としてお迎えする、一つの家族の世界が成されるには、必ず言語が統一されねばならず、その祖国語こそ、ハングルとなるであろう、と宣布しました。
*6. 六千年が込められた、お一人の誕生 ― 真の父母
さあ、このすべての神話と、孝と、烈と、忠と、ハングルが向かう、ただ一つの目的地があります。まさに、真の父母です。お母様は、一人が生まれるためには、天と地、全宇宙万象が、縦糸(たていと)と横糸(よこいと)として絡み合わねばならない、とおっしゃいました。イエス様の誕生に、四千年の神の労苦が込められたなら、真の父母の誕生には、六千年の天宙史的な待ちが込められています。
天は、第一イスラエルを択んでイエス様をお送りになりましたが、十字架で意(こころ)をすべて成せなかったので、第二イスラエルとしてキリスト教をお呼びになり、ついに、完成数に向けて、第三の選民として韓民族を、早くから択び、育てられました。檀君の建国の叙事、沈清の孝の叙事、春香の節操の叙事、柳寛順の忠節の叙事、世宗のハングルの叙事――このすべてが、まさに、その「準備」でした。そして、その準備された選民の期待の上に、この東方の小さな韓半島に、人類の真の父母が誕生されたのです。ところが、特異なことがあります。皆、16歳のときに志を立て、忠孝烈の生涯を始めます。二八青春(にはちせいしゅん)のときです。2×8=16。真のお父様も、16歳のときに、妙頭山(ミョドゥサン)でイエス様に出会い、志を立てられます。お母様も、その頃に、お父様と小羊(こひつじ)の婚宴によって、真の夫婦の道を出発されます。二八青春のときに志を立てることが、これほど重要なのです。
天は、そのお二人を、歴史を動かして守られました。植民地の闇の中でお生まれになるようにし、朝鮮戦争のときは、ソ連が安保理に不参加するという奇跡で、国連16か国を参戦させて、お二人を保護されたので、我らはその戦争を、天の聖戦(せいせん)と呼びます。囚人番号596番のお父様は、興南(フンナム)監獄で、明日には死ぬ運命の日が近づきます。昨日まで595番まで引き出されて死んだので、今日がその日でしたが、天がB29爆撃機を急いで送り、興南監獄を爆撃して、お父様を生きて出られるようにされました。2008年のヘリコプター事故でも、爆発の直前に、16名全員が劇的に脱出できるよう、共になさいました。そうして、天は真の父母を守ってくださいました。
今、真のお母様が、獄中の大きな苦難の中におられます。どうなるでしょうか。沈清は印塘水に落ちて死にましたが、復活してハッピーエンドとなりました。春香は死ぬしかありませんでしたが、劇的な李道令の暗行御史(あんぎょうおし)出頭によって、栄光ある家庭を持ちました。柳寛順烈士は、監獄で殉国されましたが、民族の胸の中に生きておられます。
お母様は、これからどうなるでしょうか。沈清、春香、柳寛順の共通点は、天の心情を突いたので、天が保護されて、栄光あるものにしてくださったことです。今、お母様は、最も苦しい状況ですが、最も、愛天愛人愛国(あいてんあいじんあいこく)に、最も熱い心情の血の涙を流しておられることでしょう。天の父母様も、毎日、お母様の状況に、胸が引き裂かれることでしょう。これからどうなるか、天は御存じでしょうか。天も、胸を締めつけながら見守られるほど、深刻な状況です。明日、どう解けるか、天も御存じないので、それゆえ深刻なのです。
真のお父様は、人類歴史の最後の峠は、天の父母様と霊界が共にしてこそ越えられる、と数えきれず、み言葉をなさいました。今が、まさに、そのようなときです。我らの力だけでは、越えるのが難しいのです。我らの至極(しごく)の精誠に、天が感動されて、霊界を総動員して、劇的にひっくり返らねばなりません。お母様を弾圧した宗教人と政権と言論と検察と、すべての人が、お母様に膝(ひざ)をついて謝罪してこそ、天の恨が解けます。皆が慟哭せねばなりません。人類歴史の全期間に、サタン側が謝罪したことはありませんでした。イエス様のときも、サタンはあざ笑いました。しかし、今や、そのような大逆転のドラマが繰り広げられる日が来ます。お母様が、天宙史的な蕩減(とうげん)を通して、全人類が悔い改めで慟哭する歴史を、お作りになるのです。今、我らが捧げる天心(てんしん)徹夜が、まさに、精誠の塔を積み上げていっている最中です。お母様と我らが、一つにならねばなりません。
先が見えない状況ですが、韓民族選民大叙事詩の夢は、必ず叶(かな)います。真のお父様は「すべて成し遂げた」とおっしゃり、真のお母様は「Holy Mother Han」と宣布されました。独り娘としてお生まれになったのは、天と祖先の功徳(くどく)ですが、Holy Mother Han は、波瀾万丈(はらんばんじょう)の苦難をすべて克服され、聖(せい)なる聖業(せいぎょう)を完成していっておられる、聖なるものの名です。孝を完成され、烈を完成され、忠を完成されて、ついに天宙的な次元の聖(せい)へと昇華された方――まさに、我らの真のお母様であられます。
*結論 ― アイデンティティを取り戻し、大叙事詩を完成せよ
愛する食口の皆さん、今や、我らは最初の問いに戻ります。お母様は、なぜ獄中で、あれほど「韓民族選民大叙事詩を教育せよ」とおっしゃるのか。今や、その答えが見えますか。
お母様が最も恐れておられることは、選民が責任を全うできず、国を失って二千年をさまよったユダヤ民族の歴史が、この地で繰り返されることです。かつて、東洋のエルサレムと呼ばれるほど熱かったこの民族が、かえって、お越しになった真の父母に向かって、二千年前のパリサイ人がイエス様を嘲(あざけ)った、その言葉を、そのまま浴びせています。「神の子なら、十字架から降りてみよ。」「天の父母様の娘なら、なぜ救ってやれぬのか。」それが、お母様の最も深い痛みです。
しかし、忘れないでください。選民とは、祝福だけを受けて、自分の自慢に酔いしれて生きる、高慢な民族ではありません。選民とは、苦難を乗り越え、他者のために犠牲になり、敵までも愛する民族です。天の選びを受けたから楽なのではなく、選ばれたから苦難が始まるのです。それゆえ、選民意識は、特権意識ではなく、供物(くもつ)の意識です。最も底の底まで下がって、最も大きな愛で犠牲になるとき、かえって最も高く上げられるのが、天の蕩減法です。
そして、記憶してください。韓民族選民大叙事詩は、まだ完成された叙事ではありません。今この時間にも、我ら一人ひとりの人生を通して書かれつつある、生きている叙事です。沈清の孝心こもる犠牲・春香の節操を懸けた獄房・柳寛順の忠節の獄中の犠牲・真のお母様の、このすべての叙事を凝縮した獄中の苦難を通して、その最後の完成の叙事は、聖(せい)とならねばなりません。その聖を、今、獄中で全身をもって完成しておられる方が、まさに、ホリーマザーハン、真のお母様です。その最後の章の、もう一人の主人公は、お母様と共に歩む、まさに我ら祝福家庭です。
今こそ、並川の市場の、あの大韓独立万歳! のように、天一国(チョニルグク)万歳! その熱い忠節を受け継ぎましょう。我らの手には、万国が一つになる天一国の旗が握られており、我らの口には、真の父母に向かう叫びがあります。柳寛順烈士のように、火の塊(かたまり)のような心情で、天が聞かれるように、獄中のお母様に聞こえるように、天心(てんしん)で呼び求めましょう。我らが韓民族のアイデンティティを取り戻し、真の父母を中心として、この大叙事詩を完成するその日、散らばっていた人類は、一なる天の父母様のもと、一つの家族となるでしょう。アジュ!(アーメン!)
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